創作民話
随分前に書いた創作民話を紹介します。
創作民話
昭和の中頃、伊勢の南の方角に、5つの地区が集まって南勢という町が出来ました。その町は美しい山々に囲まれた美しい海との、それは、それは美しい町でした。美しい自然に囲まれた町は出来ましたが、困った事に、山の民と海の民とが仲が悪くて、山の神も、海の神も、互いに困っています、両方の神は、常に何とか仲良く出来ないかとほとほと悩んでいました。そんな或る日、海の町の,鰹船にのっている若者と、山の町のミカンを作っている若い娘とがお互いに好きになって結婚の約束をしていました。若者は長い航海から帰って来ると、いつも三崎の沖の海の神にどうか結婚が出来ますようにと祈っています。一方の娘もミカン山から帰って来ると山の神にどうか結婚が出来ますようにと祈っていました。海の神は、若者の慈悲深さと,純心さをいつも心に留めていました。又、山ノ神も娘の素直さと、優しさを、いつもこころに留めていました。しかし、二人が会えば会うほど,好きになれば成る程、海の町,山の町の人達に反対されます。或る大気が清澄なる、月夜の日に二人は、将来を嘆き悲しみ死んであの世で一緒になろうと深い深い海の底へ身を沈めました。其の月夜の海には、長い間、二枚の楓の葉が漂っていました。
其の事を知った両方の神は、狂ったように嘆き悲しみました。それから暫らくしてから、海の神と、山の神とが会いました。海の神が「山ノ神さんあなたは日照りの時は雨お降らし、不作の時は豊作を授けました。貴方は山の民に、尊敬され、崇められているから何とか山の民と、海の民とが仲良く出来ないか」と尋ねました。すると逆に山ノ神が『海の神さん、貴方こそ不良の時は大漁を、海が荒れている時は、時化を静め、又、航海安全と、海の民に、尊敬され、崇められているから、山の民と海の民とが仲良く出来ないか』と尋ねました。すると二体の神の前に、突然ヒラヒラと風に乗って二枚の楓葉が重なって落ちて来ました.それを見ていた二体の神が同時に『そうだ、お互いに民に尊敬され崇められているのだから、我々が合体すればきっと海の民と山の民とが仲良く成るはずだ。あの若者と若い娘とが楓の葉となって、おたがいに重なって、二度と自分達のようにならないよう我々におし得てくれたのだ』それから後、毎年夏が近ずくと南勢の町に、海の神と、山の神とが合体した牛鬼様が、海の民と、山の民とが仲良くしているか尋ねて来ると言う。今年の夏も、とおくの海の方から海神太鼓の音が、又、山々の遠くから山神み太鼓の音が聞こえてきます。きっと南勢の町で合体して、牛鬼太鼓となって町々へ聞こえて来る出しょう。
『 さあ▬皆な仲良く牛鬼様を迎えよう』▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬
このような幼稚な文章で紹介するのは恥ずかしい限りでありますが。しかし、この創作は自分なりの、考えから作ったのです。こういった民話を土台にした、誰でもが参加出来うる南勢町の踊りは出来ないか、たとえれば、浜島町の伊勢海老踊り、あるいは、ソーランよさこい踊りなどといったように
創作民話
昭和の中頃、伊勢の南の方角に、5つの地区が集まって南勢という町が出来ました。その町は美しい山々に囲まれた美しい海との、それは、それは美しい町でした。美しい自然に囲まれた町は出来ましたが、困った事に、山の民と海の民とが仲が悪くて、山の神も、海の神も、互いに困っています、両方の神は、常に何とか仲良く出来ないかとほとほと悩んでいました。そんな或る日、海の町の,鰹船にのっている若者と、山の町のミカンを作っている若い娘とがお互いに好きになって結婚の約束をしていました。若者は長い航海から帰って来ると、いつも三崎の沖の海の神にどうか結婚が出来ますようにと祈っています。一方の娘もミカン山から帰って来ると山の神にどうか結婚が出来ますようにと祈っていました。海の神は、若者の慈悲深さと,純心さをいつも心に留めていました。又、山ノ神も娘の素直さと、優しさを、いつもこころに留めていました。しかし、二人が会えば会うほど,好きになれば成る程、海の町,山の町の人達に反対されます。或る大気が清澄なる、月夜の日に二人は、将来を嘆き悲しみ死んであの世で一緒になろうと深い深い海の底へ身を沈めました。其の月夜の海には、長い間、二枚の楓の葉が漂っていました。
其の事を知った両方の神は、狂ったように嘆き悲しみました。それから暫らくしてから、海の神と、山の神とが会いました。海の神が「山ノ神さんあなたは日照りの時は雨お降らし、不作の時は豊作を授けました。貴方は山の民に、尊敬され、崇められているから何とか山の民と、海の民とが仲良く出来ないか」と尋ねました。すると逆に山ノ神が『海の神さん、貴方こそ不良の時は大漁を、海が荒れている時は、時化を静め、又、航海安全と、海の民に、尊敬され、崇められているから、山の民と海の民とが仲良く出来ないか』と尋ねました。すると二体の神の前に、突然ヒラヒラと風に乗って二枚の楓葉が重なって落ちて来ました.それを見ていた二体の神が同時に『そうだ、お互いに民に尊敬され崇められているのだから、我々が合体すればきっと海の民と山の民とが仲良く成るはずだ。あの若者と若い娘とが楓の葉となって、おたがいに重なって、二度と自分達のようにならないよう我々におし得てくれたのだ』それから後、毎年夏が近ずくと南勢の町に、海の神と、山の神とが合体した牛鬼様が、海の民と、山の民とが仲良くしているか尋ねて来ると言う。今年の夏も、とおくの海の方から海神太鼓の音が、又、山々の遠くから山神み太鼓の音が聞こえてきます。きっと南勢の町で合体して、牛鬼太鼓となって町々へ聞こえて来る出しょう。
『 さあ▬皆な仲良く牛鬼様を迎えよう』▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬
このような幼稚な文章で紹介するのは恥ずかしい限りでありますが。しかし、この創作は自分なりの、考えから作ったのです。こういった民話を土台にした、誰でもが参加出来うる南勢町の踊りは出来ないか、たとえれば、浜島町の伊勢海老踊り、あるいは、ソーランよさこい踊りなどといったように